ピンボール・・・その1

1970年代後半から80年代の始めにかけて、よくピンボールで遊んだ
場所はゲームセンターやデパートのゲームコーナー(屋上が多かった)、或いはカフェバーの片隅など
当時、取り立ててピンボールが流行っていた訳では無い、その証拠に私の周辺では熱をあげてプレイに
興ずるものを見たことが無かった

周囲の友人はパチンコや麻雀に熱くなっていたが私はどうもギャンブルが好きになれなかった
あれこれと理由付けをして誘いを断っていたが、本当のところ理由はただ一つ、金が無かったからに過ぎない
バイトに明け暮れて学費と生活費を稼ぐ、要領の悪さも手伝って忙しい割に大した稼ぎは無い
そんな暮しの中、ただでさえ少ない所持金を減らしたくはなかった
勝てるかもしれないじゃないか・・・“博才”が無い事は自分の性格を鑑みれば分かり切っていた
付き合いの悪い奴とのレッテルを貼られて、以降誰も私を誘う事はしなくなった
煩わしさから開放されてほっとした反面、一人取り残されたようで寂しかった

そんな私だったが恋もした、こんな貧乏学生と付き合ってもさぞや面白くないだろうなと半ば振られる
ことを覚悟の告白だったが・・・貧乏な私が物珍しかったのか、お嬢様だった彼女の答えはYESだった
背伸びをしたくても出来ないことは明白だったので、極力自然体で付き合おうと決めた
まわりの奴らは免許を取り、そしてピカピカの車を購入して夏は海、冬はスキーと思う存分、学生生活を楽しんでいた
彼女の友人たちは私との付き合いを止めるよう、陰に陽に忠告していた
私はそんなまわりの雑音を努めて気にしないように振舞いながらも心のどこかで惨めな気持ちになっていた
彼女に何もしてあげられない自分が情けなかったがどうすることも出来なかった

相変わらずの貧乏暮らしの中、月に一度の給料日、その日だけは彼女との贅沢なひと時を楽しんだ
贅沢といってもそれは私にとっての贅沢であり、その当時としてもとても“ささやか”なものだったと思う
バイト先で受け取る給料袋は中身を確認する必要もないぐらい薄いものだった
封も切らずに彼女との待ち合わせ場所に直行する、ポケットにあるわずかな小銭を電車賃に充てて・・・
彼女の姿が見える、流行の服で着飾った彼女がとてもまぶしかった、それに引き換え安物の服を身にまとった自分の姿
ガラスに映る二人の姿がなんとも滑稽で、その姿を見ながら二人で思わず失笑していた
給料袋は決まって彼女の前で開封した、頑張った成果を共有してもらいたかったのか、それとも、これっぽっちしか
無いと自虐的な姿を見せることでつらい状況を把握してもらいたかったのか
その金額は恐らく彼女のお小遣いに毛のはえた程度のものだったのではないだろうか・・・

近所の公園を散歩しながら取りとめの無いことを語り合う、映画や音楽の話、また将来の話など
私に気を使ってか友人の話などはほとんど話題にのぼらなかった、もっとも私には友人らしい友人が
いなかったので話題にすることすら出来なかったのだが
陽も傾きかけた頃、行きつけの安い居酒屋へ向かう、立て付けの悪い引き戸を開けカウンターの隅に二人並んで座る
いつの頃からかこの窮屈な隅っこの席が二人の指定席になっていた
冷奴、煮込み、厚揚げ、焼鳥、お新香・・・カウンター台に乗り切らないほど注文した
ビールを注いでくれる彼女の仕草が大好きで、急いでコップを空にしていた
店の親父は無愛想だったが何も言わずに小さなオマケをしてくれた、1本しか注文していない焼鳥が2本になって
いたり、だぶって作ったからと焼き魚を出してくれたり、本当はそうでないことはわかっていた
それは私の身なりや二人の会話から察しての行為だったのだと思う

続く・・・