雑感・・・息子との一日

3月27日(火)、今日も朝から何かと忙しい。あっちへ行ったり、こっちへ来たり、機械を動かし納期の無い
製品を仕上げたり、段ボールをリサイクルして梱包したり・・・ここ数日、“超”多忙也。
よって、ブログも滞りがち。1月に訪問したアジア各国、その紀行文に至っては未だクアラルンプールへ
達していない。完結はいつになることやら・・・

いつもこんなに忙しかったら、あっと言う間に蔵が建つ!、かな!?
でも、そうは問屋が卸さない。この忙しさは一時的なもの、普段は事務所周辺を、無意味に散策出来る
ほどたっぷりと“余裕”がある。
だから・・・今は、いただいた仕事を一生懸命にこなすしかない。

とは言え、一人ではどうにも出来ないこともある。通常は、打合せに出向き、帰社した後に作業をこなす。
そんなパターンで日々業務を遂行しているのだが、流石にそのパターンでは間に合わない、急な仕事の
依頼もある。昨日がまさにそんな日だった。
急遽、我が息子に作業をお願いした。つい先日、大学を卒業したばかり、入社日までのんびりと過ごした
かったようだが・・・“小”金をちらつかせて強引に事務所まで連れてきた。
一通り、簡単に作業の内容を伝えて、私は打合せに出る、しっかりとこなしてくれるか一抹の不安はあった
が、任せるしかない、何せ身体は一つしかないのだから・・・
二件ばかりの打合せを終らせて急いで事務所へ戻る、その間に息子からの“SOS”はなかった。
それでも心配してしまうのは・・・“親心”なのだろうか。

ふと、彼がまだ幼かった頃のことを思い出した。あれは2才になる前ぐらいだったろうか、当時、共稼ぎ
だった私たち夫婦、家内の強い要望もあり、保育園に預けることなく、じいちゃん・ばあちゃんの協力を
得て、その苦境を何とか乗り切っていたのだが・・・年老いた両親の“忍耐力”も、そうそう続くわけも無く
他に選択肢の無い私たちは、不本意ながらも息子を保育園に預けることにした。
(決して保育園、また預けることが悪い訳ではない)
“可哀想で見ていられない”と言う、家内のたっての願いで、初登園?の付き添い役には、私が任命された。
自転車の後ろに乗せ、保育園へ向かう。そこは無認可の保育園、それゆえか、どことなく明るさを感じ
なかった。状況の変化を幼いながらも敏感に感じ取っていたのか、自転車の後ろに座る息子は私の服を
ぎゅっと握り締めて離さない。
心の中で“ごめんな”とつぶやきながらも、剥がすように、その手をほどき、保育士のお姉さんに息子を
預けた。泣きじゃくる息子、その泣き声を背中で感じながらも、振り返らずに自転車を漕ぐ私。
振り返れば・・・連れ戻してしまうかもしれない、でもそれは・・・出来ない、いや、してはいけない事。
切ない気持ちを胸に収めて、駅までの道のりを無我夢中で自転車を漕いだ。
駅は目前だ、駐輪場に自転車を停め、早く電車に乗らなければ・・・だが、その数分後、私は保育園の前に
戻っていた。息子に姿を見られないように植え込みの陰に隠れて、その様子を窺っていたのだ。

部屋の片隅にポツンと座っている息子、いくらか落ち着きを取り戻したようにも見えたが、その両肩は
小刻みに震えていた。友達の輪に加われず、手近に用意された積み木を黙って握りしめている息子の姿が
・・・涙でかすんだ。
“頑張れ”と一言、口にして、その場を後にした。駅へ戻る間、情けないと想いながらも、流れる涙を
止めることは出来なかった。

あれから20年以上の歳月が流れた。
今、目の前には、私の仕事を手伝う息子の姿がある。立派かどうかは分からないが、そこにはいるのは
成人した一人前の男だ。黙々と作業をこなしている、時に私のことを気遣いながら。
そんな成長した息子の姿を見るにつけ、想う。恐らくは、これから先、こんな“時間”は二度と訪れない
だろう。そう、彼は彼の人生を歩んでいくはずだから。
今日一日の出来事でしかない、そんな些細な光景、でも・・・私の心の中は大きな幸福感に包まれていた。
しっかりと育ててくれた家内に、そしてしっかりと育ってくれた息子に、感謝の気持ちで一杯だった。

大人になった息子、それでも・・・保育園に向かう間中、私の服をぎゅっと握り締めて離さなかった彼の
その小さな手を・・・私は、いつまでも忘れない。