ジョージタウン到着・・・今夜の宿「杭州旅社(ハンチョウホテル)」へ

1月13日(金) 13:00、明朝乗船する予定のフェリー乗り場を後にして、今宵の宿探しをするべく安宿が集まると
いう“チュリアストリート”を目指す。海を背に左へ、海沿いを暫く歩く。角を右に曲がれば、そこが“チュリアスト
リート”だ。この通りを、ただひたすらに真っ直ぐ歩き続ければ、目的とする安宿に到着するはずだ。
通りの両端に目をやる、壊れかけたような建物が並んでいる。ここが、マレーシア第二の都市、“ジョージタウン
なのか・・・2008年、マレーシアで初めて世界遺産に登録された街。この街並みが対象だ。
1階を店舗に、2階以上を住居にした建築様式、“ショップハウス”と呼ぶらしい。が、そこに並んでいるのは、今
にも崩れ落ちそうな壁、色褪せた塗装、歪んだ看板、そんな状態の建築物。そこに修繕した跡は、見られない。
TOKYOに暮らす眼でこの街並みを観察してみれば、果たして現状のまま保存する気になるのだろうか?
一瞬、そんな気にさせる光景ではあるが、だが、私にはとても魅力的に写る街並みだ。“退廃の美”そんな言葉
が似合うような・・・やや興奮気味に、この街並み、建物にフォーカスをあて無数にシャッターを切っていた。
 
 
白人のバックパッカーが先を歩いていた。大きなザックを背負っている。そこに男女の区別は感じられない。
どこから来たのだろうか、どこまで行くのだろうか、そして、いつまで旅を続けるのだろうか・・・
 
18世紀後半、イギリスに植民地として割譲されたペナン島。その島のメインタウン、それが“ジョージタウン”だ。
英国コロニアルの雰囲気を色濃く残す街、第二次世界大戦以前の建築物が1万棟以上も残っているらしい。
この建築物と共に、長年に渡って培われてきたであろう生活様式、そして、そこには様々な人種が共存している。
彼らが、その歴史の一端を垣間見せてくれたような気がした。
 
フェリー乗り場を後にして30分、お目当ての安宿に到着した。宿の名は「杭州旅社(ハンチョウホテル)」
とても有名な安宿、バックパッカーの間ではつとに、その名が響き渡っている。(私は知らなかったが・・・)
1階は食堂、2階、3階が宿になっている。白をベースとした外観、出窓を縁取る水色、レースをモチーフにしてい
るのだろうか、そのレリーフのピンク色が、建物全体を優しく、そして高貴に、包み込んでいた。
早速、部屋を見せてもらうことにする、勿論予約はしていない。食堂にいた小柄なおばさんが案内をしてくれる。
階段脇に貼られた、彩り豊なタイルが目を引く、バランスの取れた素敵な配色だ。何層にも塗り替えられたと思し
き、チョコレート色の手摺りがこの宿の歴史を教えてくれる。
 
案内された部屋は2階の14号室、広々とした空間には、幾何学的な柄を配したシーツが掛かる大きなベッドが
2つ。奥には簡素だがシャワールームもある、トイレは共同だ。天井には大きなファンが音をたてて回っている。
エアコンの効きも問題ないようだ。窓の無い部屋だが、ゆったり取ったスペースが開放感の無さを補っている。
手入れも行き届いており、清潔感もある。古い部屋ではあるが、その古さもまた、この部屋のデザインの一部
になっているように思える。何も問題ない・・・宿泊代を尋ねる、1部屋、RM60(約1,500円)。一人当たり750円だ。
念のため、シャワーの無い部屋の金額を確かめる、RM50(約1,250円)。シャワー付きの部屋をお願いした。
出窓を開けると、通りを見渡せるその部屋も十分に魅力的な部屋ではあったが・・・

案内を受けている最中、共同のシャワー室から白人女性が出てきた。歳の頃なら60歳前後だろうか、細身で大
柄な彼女は、素敵な笑顔を振りまきながら会釈を繰り返した。まるで、この宿にようこそ、歓迎します。と、いわ
んばかりの表情。その表情に同調しながら、一瞬、同じ人種のような錯覚に陥っていった・・・
どこから・・・どこまで・・・そして、いつまで・・・彼女の身の上を知る術は・・・今はもう無い。