バトゥフェリンギ出発・・・朝

1月13日(金)6:12 モスクから流れるアザーンの音で目が覚める。礼拝への呼びかけ、物悲しい音色だ。
所々、お経のようにも聞こえるのは、それは私が日本人たる所以なのか。2〜3分続いただろうか、それが終わる
と、あたりは何事もなかったかのように、またもとの静寂に戻っていた。街はまだ深い眠りの中だ・・・

せっかくの目覚め、海に行こうと思った・・・真っ赤に燃える朝陽が見れるかも知れない。ここからビーチまでは
そう遠くはない。わずかな時間で行ける。外は未だ闇の中、日の出には十分に間に合うはずだ。そそくさと身支度
を整えドアを開ける、丁度、相方もジョギングに出かけるタイミングだ。二人でホテルを後にする。
彼はメインストリートを西へ、私は脇道に逸れてビーチを目指した。雨はやんでいる、だが、重くたれ込めた雲が
空を覆っているようだ。見れそうもないかな・・・それでもよい。たとえ見れなくても・・・波の音、鳥のさえずり
やわらかな朝の空気、それらが体感出来るだけでも十分ではないか。
 
 
やはり願いはかなわなかった、暫くの間水平線の彼方をじっと見つめていたが、低く垂れ込めた雲が切れる気配
は無い、後ろ髪を引かれながらもビーチを後にした。が、ちょっと待てよ・・・そもそも方角が逆なんじゃないか?
海に陽が沈むのなら、陽が昇るのはその反対側になるのか?そうだとしたら、どんなに海を見つめていたって
そこから陽が昇ることは無いじゃないか・・・そんなこともワカラナイノカ、湿り気を含んだ砂浜に足を取られながら
一人苦笑していた。

朝を待つビーチは幻想的な空気に包まれていた、刻一刻と変化する様々なブルー、決して“青くはない”海が
変化する空の色を写し取り、微妙にその姿を変えている。穏やかに寄せ、そして引きを繰り返す規則的な波音。
奇妙に鳴く鳥の声がどこからか聞こえてくる。やんわりとした空気が心地よい・・・あたりに人の気配は無い。
ここは南方の小さな島、TOKYOでは既に通勤ラッシュが始まっている時刻だろうか、今・・・私は一人だ。
五感に感じられるものすべてを、今、私は一人で独占している。これはアッラーの神からのごほうびなのか・・・
  
 
 
   
 
ホテルに戻る道すがら、ひと気の無い街を切り撮ってみた。そこには、夜とはまったく違う表情をしたモノたちが
これから訪れるであろう“にぎわい”に備え、じっとしたままで・・・その時を待っていた。