年の瀬に思うこと・・・

気が付けば今年も残すところあと4日、ついこの間、新しい年が始まったばかりだと思っていたら
あっという間にまた新しい年がやってくる。その速度たるや、年々加速しているようだ。
ある人が言っていた・・・“年齢がスピード”だと。0歳の赤ちゃんは0キロのスピード、要は自分の
力で走っていない、10歳は10キロで、20歳は20キロで走っているらしい。差し詰め私は49キロで
走っていることになるのか。道理で年々スピードアップしているはずだ。
確かに子どもの頃の1年は長かった、いや、1ヶ月、1週間、1日がとても長く感じた。
よくもまあ、何にも考えずにあれだけ遊び回っていたもんだ。あれだけの時間の“所持感”
もし今あったらと思うと無性に悔しくなる。なんともったいない時間の浪費をしていたのだろう
あのときにしっかりと将来を見据えてもっと有効に時間を活用していたら・・・今の自分は別の
自分になっていたはずだ。

思い返せば確かにいた、小学生のくせに妙にしっかりとしていた奴、その言動や立ち居振る舞いが
まるで大人のようだった。頭が良くて、いつも本ばっかり読んでいた、みんなにも一目置かれていた
そうだ奴は学級委員長だった。何を血迷ったか2〜3回、奴の“お宅”へ、お呼ばれしたことがある。
半ドン”の土曜日、時間は丁度お昼時、「ごはんを済ませるからちょっと待ってて」と言われ奴の
部屋で待機、本棚には○○文学全集や○○百科事典、なにやら分厚い参考書などが整然とならんでいた。
悪ガキだった私にとってはとてもつまらない本ばかり。怪獣図鑑や妖怪図鑑、電車や車の本は無いのか?
子ども部屋とは思えないほど子どもらしさ、“子ども生活感”がない部屋だった。
それ以上にカルチャーショックだったのは奴が飲んでいたスープ、そうコンソメスープだ。
「君も飲むかい?」みたいなことを言われてカップをのぞき見ればそこにはニンジンの千切りが
ほとんど“生”の状態で入っているではないか!これといった好き嫌いがない私だったがニンジンだけは
口にすることが出来なかった。そんな大嫌いなニンジンを奴は美味そうにムシャムシャと食っている!
「ニンジン美味しいの?」と思わず口走る私に向かって奴はこういった「○△×の成分が脳を刺激して
記憶力を良くするんだよ」と・・・何を言っているのかさっぱりわからなかったが“頭が良くなる”的な
ニュアンスだけは伝わってきた。そうかニンジンを食べると“頭が良くなるのか”それ以来、大嫌いな
ニンジンを我慢して食べた私だったが・・・一向に頭は良くならなかった。

そんな奴とは中学を境に別々の道を歩くことになる、当然と言えば当然だ。学校が終ればその足で塾に通い
それでも足りなかったのか家庭教師までつけていた、学校始まって以来の秀才、いや天才と謳われていた。
奴は“軽々”と名門の私立中学に合格した。こっちは近所の公立中学に進むことになったが、“悔しさ”や
“羨む”ような気持ちは微塵も持たなかった。子どもの感覚では奴との間に出来ている大きな“距離”を
感じ取ることすら出来なかったのだ。奴はその後、名門の私立高校へ進み、予想通り東大へ入学
これまた予想通り○○省へ入省した、まさにエリート街道まっしぐらといった感じで突き進んでいった。
行く行くは高級官僚の地位まで上り詰め、国家を動かす立場になるのだろう、そんな将来を現実味を持って
抱かせていた、が・・・幕切れはあっけないものだった。

入省3年目、25才のときに奴は死んだ。ビルの屋上から飛び降りて死んだ。理由は定かではないが、どうやら
出世コースをはずされて半ばノイローゼのような状態だったと周囲では噂されていた。
勿論、驚きはした。だが、とても驚いた訳ではない。小学校を卒業してから付き合いはなくなっていたし
たまに見かけても声を掛ける程度の間柄だったから・・・いや、関係の希薄さが驚きを持たせなかった
訳ではない。私には奴がそんな行動を取るような気がしていた。勿論“死”を選ぶとは思わなかったが
いずれどこかの“地点”で“止まる”ような気がしてならなかった。子どもだった頃は“軽々”と見えていたことが
実は血の滲むような努力と、重圧の上に成り立っていたこと、頑張ってもどうにもならない事があると
いうこと、飄々と見えた、奴の内側に堆積していたストレスを今なら理解出来る。
奴だって泥んこになって陽が暮れるまで遊びたかったろう、駄菓子屋で買い食いもしたかったろう
そして恋だって。そんなものすべてを犠牲にして奴が勝ち取りたかったものって一体何だったのだろうか
それは奴が本当に望んでいたものだったのだろうか・・・

子を持つ身になって思う、勉強が出来なくたって、少々悪いことをしたって、そんなことは長い人生の
些細な“点”でしかない。レールを脱線したってまた戻せばいい、違うレールに移ったって一向に構わない。
疲れたら休めばいいではないか。子どもたち、そして若者たち、生き急ぐ必要はまったくない。
年齢以上のスピードで進んだところで、きっとどこかでその歪みがくるはずだ。
勝ち組・負け組”、“格差”、“就職難”、“リストラ”・・・世間は色々なコトバで煽り立ててくる。
でも・・・人生は競争じゃない、どこかの誰かと比較して日々生きている訳じゃない。少なくとも私はそう思う。
自分に合った“スピード”でしっかりと進めばいいんだ。

新しい年が来て、またひとつ歳を重ねる。日々短く感じる時間の中で願う、ほんの少しでも成長出来るように
そしてほんの少しでも実のある年にしたいと・・・奴のように生き急いだ者の分まで。


私のニンジン嫌いは相変わらずだが、奴は天国で今でも食ってるのかな
あのニンジンがたくさん入ったコンソメスープを・・・